CLO3D シュミレーション トレーニングクラスの提供
*私が使用しているプログラムCLO3Dは2018年2月より、日本でも個人ユーザーがインターネット上で購買できるようになり、
使用費は個人ユーザーの場合 毎月50ドル、年間450ドル、学生はその半額というとても手頃な値段に変更されました。
プログラムの画面は日本語に変換でき、また一部日本語のユーザー説明も含まれています。
* 3Dソフトプログラムサイト
Kazuyo Bacground
19歳 ハンドバッグデザイナーの道へ
母が生まれた神社
父と母と、カズヨ8歳
母がデザインしたお洋服を着るカズヨ11歳
カズヨが描いた日本画、その展示会、19歳
工場で学ぶ。
母の実家は1300年の歴史がある神社で、幼少の頃、そこで過ごすことが多かったわたしは、自然と日本の古都の美に囲まれていました。一方、そんな環境とは対照的に、母は洋画しか観ない人で、洋裁の得意なセンスの良い人でした。わたしは、彼女のデザインするお洋服を着た、学校で一番おしゃれな女の子で、将来はファションデザイナーになりたいとの想いを抱いていました。
高校卒業を迎え、将来を現実的に見つめたとき、“わたしだからできること”、“わたしにしかない環境”を突き詰め、行き着いたのが、父が和装小物を製造する会社を経営していることでした。自分を表現するための強いオリジンを見つけたわたしは、19歳でハンドバッグデザイナーという仕事を選び、いつか自分のブランドを立ち上げるという夢を掲げて歩き始めました。
それから8年間、夜はデザイン学校に通いながら、昼は父の会社で徹底してバッグ作りを学びました。革の扱い方など専門的な技術や生産管理なども、この時期に勉強しました。
At age of 19th Dreamed to be handbag designer
I was born in a 1400-year-old Shinto shrine and often spent my childhood there surrounded by nature and the beauty of the ancient Japanese capital, Nara. In contrast to this traditional environment, my mother was a very curious person who watched a lot of foreign films and was a very good dressmaker.
At school I was the most stylish girl wearing cloths my mother designed, thinking that I wanted to become a fashion designer in the future.
By the time I graduated and thought practically about the future,
I looked at my own environment and what was available to me and at 19 decided to work in my father’s company to learn the process of handbag construction and manufacturing.
I found a strong origin for expression in handbag design and worked there for eight years while attending design school at night. I studied specialized techniques and production control and gained knowledge of leather and how to handle it.
25歳 本場イタリアでデザインを学ぶ
イタリアでの遊学
イタリアウルビーノにあるピエログイディでインターン
イタリア遊学
イタリアの友人と
革の本場イタリアでデザインを
25歳 Away from Home
その後、次のステップとして、革製品の本場で本物に触れるべく、東京でイタリア語を勉強し、単身イタリアへ渡りました。到着後すぐに、有名ハンドバッグデザイナー、ピエロ・グイディの門を叩き、熱意と製造技術を見込まれて、アシスタントデザイナーとして師事することになりました。また、時間を作ってはイタリア各地を旅行し、フレスコ画や教会建築など、様々な角度から知識を吸収しました。
29歳 ニューヨークでビジネスを学ぶ
Learned about leather and design in Italy
At age of 26 Away from Home
I traveled alone to Italy
After briefly studying Italian in Tokyo. I wanted to go to the home of leather manufacturing and design and found the opportunity to study with and become assistant to the famous handbag designer, Piero Guidi.
My unforgettable learning experience in Italy allowed me to absorb new knowledge of design, art, culture, as well as handbag manufacturing.
ニューヨークへ移住
働いたニューヨークのファッション企業が集まる場所
ニューヨークの工場
ドナキャラン社で働く
カルロスファルチ社で働く
ロバートリーモーリス社で働く
ニューヨークでビジネスを学ぶ
29歳 Center of the world ニューヨークへ
日本のハンドバッグ卸売り会社「ホワイUSA」に仕事が決まり、ここニューヨークでのキャリアがスタートしました。
アメリカで生きていくことを決めた私は、まず、父の会社で得た技術を見方に、ダナ・キャラン、ロバート・リー・モーリス、カルロス・ファルチなどのハンドバッグ部門にて、デザイナーとして活躍することになりました。また、同時期に、ファッション工科大学(FIT)で、ジュエリー、靴、帽子のデザインを学び、その後アメリカで特に著名であったブランド「シャリーフ」で、チーフデザイナーとして本格的に活動することになり、アメリカの市場、マーケットを本格的に学びました。
Learned about business in USA
At age of 28 Center of the world
I moved to New York to work with the Japanese wholesale handbag company, ‘Why USA’, and began my career there.
I learned jewelry, shoe, and millinery design at FIT, the best college for fashion study.
And I took my technical knowledge of handbag design and applied this to more design-oriented work with companies such as Donna Karan, Robert Lee Morris, and Carlos Farchi.
I played an active role as designer for these brands and also became a chief designer for Sharif brand, which became particularly famous in American department stores.
40歳 オリジナルブランドの設立
ノリータ地区にお店をオープン
お店の内装
初のコレクション「モンダーノ」が、ニューヨークの女性の間でヒット
モンダーノキャンペーン写真
モンダーノバッグ
コスモポリタン誌に掲載される。
40歳 Dream come true オリジナルブランド設立
長年の夢であったオリジナルブランド、「KAZUYO NAKANO NEW YORK」のファーストコレクションは、ニューヨークのワーキングウーマンの間に瞬く間に広がり、流行といえるほどの人気商品となりました。勢いに乗り、数ヶ月後には店舗をオープンし、小売も始めました。当時は、生産、卸、小売りから、デザイン、経営と、無我夢中で走り続けていました。そして翌年、わたしのバッグは、憧れの高級百貨店「バーニーズ」、「ヘンリー・ベンデル」、「ブルーミングデールズ」「サックス・フィフス・アベニュー」などで売られるようになりました。そして、これを機に、「VOGUE」、「ELLE,」、「WWD」などのモードなファション誌にも掲載され始めました。
At the age of 40 Launched my own brand
Shortly afterwards, with all my research in hand,
I came up with a design Mondano collection and established my own brand、
KAZUYO NAKANO NEW YORK,
My dream has come true.
My brand quickly became popular with young, professional New York City women
and several months after I opened flagship store at Nolita
I was designing as well as managing production, overlooking wholesale and retail sales and generally working at a running.
The following year, my handbag has sold at high-end department stores such as Barneys, Henri Bendel, Bloomingdales, Saks Fifth Avenue.
My designs were also gaining attention from fashion magazines such as Vogue, Elle, WWD.
悲劇と混沌、不況に耐えて、Through a difficult time after Sep.11
我が家の屋上から撮影した世界貿易センタービル
国際ビルの崩壊後
悲劇と混沌、不況に耐えて
アメリカ国内で成功をおさめた後は、パリでのショーなど、海外進出も図りました。日本からの贔屓客も増えたことは、私にとって最も誇りに思えることでした。こうして全てが順調に進んでいたところへ、あの日はやってきました---「セプテンバー・イレブン」。お店のあったエリアは、3日間立ち入り禁止。自宅からも3か月間避難するよう命ぜられました。直後の混沌は、経済に最悪の影響をもたらしました。
At the age of 42 Re-Start
The chaos of disrupted businesses and lifestyles brought the economy down,
I was aware I would have to start again. My response to the negative atmosphere and dark mood at the time was to produce a handbag full of life and energetic color.
This was the Jenn handbag collection and its emphasis on bright color was instantly successful with New Yorkers going through such a difficult time.
42歳 再スタート
クロスビーにオープンしたお店
お店のウインドー
店内
話題の日本人クリエーターとして雑誌に掲載される
材料を前にデザインするカズヨ
日経ウーマンに掲載される
京都伊勢丹KAZUYO NAKANOお財布売り場
日本橋三越本店新館にアンテナショップ
42歳 Re-Start
それまで強く希望していた日本でのライセンシー事業が実現したのも、この時期です。
ヨシナガ株式会社(現スタイルインデックス社)と日本独占製造販売契約を結び、アメリカと日本同時期展開販売が始まり、
日本橋三越本店新館にアンテナショップをオープン、新宿/京都伊勢丹、梅田/心斎橋大丸、名古屋高島屋などと取引を始めました。
経営拡張に伴い、店舗も約3倍に広げ、ソーホー地区へ移転しました。アメリカでの取引先も安定し、日本での売り上げも着々と伸びていきました。
This success brought me a licensing agreement with a Japanese company and I was, after all, able to expand my business again. I had stable business partnerships and strong sales both in the U.S. as well as in Japan and I relocated my store to Soho, the popular shopping neighborhood in New York City.
ケニアの女性が編むカゴ
読売新聞に掲載される
ピンクリボン運動にデザインされたバッグの広告
47歳 社会貢献
47歳 Contribution to the society
オリジナルブランドが軌道に乗ったら、何か社会に役立つことを、特に女性の自立のサポートをしたいと願っていたわたしは、夫の教え子を通じて、ケニア女性の自立推進のためのデザインと販売をする活動に巡り会い、最近では、ニューヨークの大学で、デザインとそのブランディング、ファッションにおける国際ビジネスなどについて講演し、若い世代の教育にも関わらせて頂いています。また、乳がん撲滅と早期発見のための啓蒙キャンペーン、「ピンクリボン運動」にも取り組んでいます。
At the age of 47 Contribution to the society
at a stable place with my business, I looked for ways to contribute to a good
cause. I came across the opportunity to work with women in Kenya and promote their economic potential by combining their artisanal skills with my design and marketing skills. We created very successful handbags that allowed them to benefit financially in ways they would not have had access to previously.
Another project I participated in was the Breast Cancer Awareness campaign that aimed to promote early detection and ways to fight cancer.
52歳 不景気からニュービジネスのスタート
テレビショッピング出演
繊研新聞
デザイナーにアドバイスするカズヨ
hanafuブランドの海外市場開拓サポートが繊研新聞に掲載される
竹虎商品のコーテリー展示会でのサポート
爬虫類商品が三越で販売される
京女塾での
目白ファッションスクールでの講演会
高知での講演
52歳 New Market
2009年 リーマンショック直後、世界規模の不景気が流通業界を圧迫する中,
テレビ通販という流通経路を新たに開拓。日本の大手テレビ通販番組である「ジュピター・ショップチャンネル」にて、トータルファッションとしての「ニューヨーク流エレガンス」の提供を開始する。
次世代育成にもかかわり、アメリカニューヨーク市立大学、 ニューヨーク州立ファッションFIT大学等で講演。
2010年よりは日本の次世代の起業家育成にも情熱を傾け、各地で講演セミナーを開催し始める。
2012年 新しいブランド名で K.N.AguilerA 高級爬虫類ハンドバッグの販売がスタート。
2012年には 其の30年の海外生活とビジネス経験を活かし 日本企業の海外市場への進出をサポートする事 業部を設立、ニューヨークをベースに世界市場の現状とニーズの正確な把握を起点に新商品開発、海外市場展開 のサポートを多種多様の会社に提供をスタート。
13年には独立行政法人中小企業基盤整備機構の海外市場開拓アドバイザーに認定される。 バッグメーカーとの新たな取り組は、日本国内のブランドが過去に成し得なかった世界の高級ゾーンへの進出、 サウジアラビア、香港,シンガポール等、を米国NYのショールームを通じ展開をさせるなどの大きな業績を 作っている。
In 2012 it established that the business section for support to expand into overseas markets of Japanese companies taking advantage of overseas life and business experience of its 30 years, starting from the accurate grasp of the current situation and the needs of the world market based on the New York new product development, and provide a wide variety of company support for the overseas market expansion,
In 13 years it is certified in overseas market development advisor of National Institute of small and medium-sized enterprises infrastructure development mechanism.
New take sets of the bag manufacturers, the foray into luxury zone of Japan domestic brand has not been achieved in the past the world, Saudi Arabia, Hong Kong,
Singapore, etc., are making a great achievement, such as to the deployment through the US NY showroom.
57歳 高級爬虫類コレクション企画
2015年 「ペレボルサ X カズヨナカノニューヨーク」のクリエイティブデザイナーに就任、生まれ育った日本のDNAをアピールした高級爬虫類のコレクションを百貨店の上顧客相手に販売をスタートする。
、菖蒲色
緑青色
in 2015 Appointed to the creative designer “Pelle Borsa Kazuyo Nakano New York",
start selling to a high-end consumer in Japan